いままでだれにも話したことはないのだけど、わたしはUFOを見たことがある(と思う)。
だれにも話していないのは、こういった分類の話はあまりにあやしいカテゴリーに入るからだ。
話そうかと思ったことは一度もないけれど、例えば、話をすることを考えたときに、
本人はものすごく本気で本当だと思っていて、しかも、勇気を振り絞って、これはという信頼できそうな人に話そうとしているのに、
ふーん、そうなの。
とか、
へえー。
とか、
まじー?
とか言われて、よくてその場で終わるか、または、「ヘンな人」レッテルが貼られるのがオチ(だと思われる)からだった(わたしは普通の人でありたい。分別のある人、世間になじむ人、社会に溶け込む人でありたいと願っている(そうかどうかは別として))。
たぶん、
だれも、本気では聞いてはくれないだろうし(薄ら笑いとか)、こうしてついに話そうかな、と思っている本人も、実は、ほんとかなといつも自問自答してきた人生の課題でもあったからね。
ずいぶんと昔のことなのに、やけに鮮明に覚えているのは、やっぱり異常な光景だったからなんだろうなあと思うのと、それ以降、何度も思い出すことは、実は、ないのだけれど、この目撃した状況をアタマの中で何回かに分けて再現して(無意識的に。夢でも何度か見たし)、脳内で確認作業をしてきているからかなあと思っている。
不思議なことに恐怖はなかったのだけど、その後、なんどもフラッシュバックのようなことが起きていた。いまでも、思い出そうとすると、その瞬間瞬間の画像が出てくる。
中学生くらいの時で、夕方から日没、そして夜になるちょうどの時間、夏で、いいお天気だった(雲などがなかったという意味)。
イメージ図を書いてみちゃったのだけど、これよりも下の方は少し明るかった。道路の常夜灯と、それから日没直後の太陽の名残があった。
だいぶ離れてはいるのだけど、羽田空港の発着便がけっこう頻繁に空を飛んでいるので(羽田空港の方角をたまたま見ていて、羽田空港の方角に現れた)、飛行機 やヘリコプターの動きは一定で、わかりやすく、飛んでいく方角もある程度は決まっていた(太平洋へ出るのはこちらへはこない、関西の方とかのが頭上を越えていく。方向音痴なので方角がわからない・・・)。
そのころは成田空港がなかったので、飛行機の数も多かったように思う(10分以下おきくらい。発着待ちのような旋回モードの飛行機もあった)。
日が沈んで、しばらくして、へんなオレンジ色の光が上空に止まっているのを見つけた。
そのとき、友達と二人で川の土手で話をしていた。
そこは見晴らしがよく、空が一面に見えて、わたしたちはときどきそこら辺で、青春のお話などをしていたのだった。
友人もあれ、へんだね、と言った(なにがヘンだったのか、具体的には言わなかった)。
このあとの動きは、まさにヘンなのだけど、このときを表現するのに、一番ふさわしいのは、「未知との遭遇」という映画だ。
あれを観たときに、ものすごい衝撃を受けた。わたしたちがこのときに見たものと、酷似していたからだ。
特に、最初、遠くに現れる場面は似ていた。ただ、わたしたちが見たものには、音がなかった。まったく音がない。
オレンジ色の光も明るかった。まぶしいほどではないが、はっきりとオレンジ色が空に浮かんでいるというのはかなり異様だ。
が、いきなり消える。そしていきなりつく。そしていきなり増える。色もいろいろなのがあった(忘れたが白もあった。そんなにバリエーションはなかったと思う)。そしていきなりぱーっと分かれる。そして、いきなり、移動する。
線で移動しない。点で移動する。これらが大変短い時間で起きる。ほんの15分くらいのことだったと思う。
わたしと友人は、その間、ほとんど口をきかなかった。ただ、凝視していた。まるでわたしたちだけが「それ」を見ているかのようだった。
周りには、ほかに人がいなかった。
その空の下に道路があり、車がたくさん走っていたが、だれも止まらないし、気にもとめていない。だれも見ていない、となんとなく思ったのを覚えている。
ほんとうに見えているのだろうか。これって、なんか花火とか。このときに初めてちょっとドキドキしてきた。
このことを話すのはあまりにばかげているのじゃないかと、思ってしまうのは無理ないと、ここまで書いてきてつくづく思う。だれも信じないでしょう。ほんとうは、わたしもどこかで、信じてこなかったのかもしれない。
この目撃は、さっきの「未知との遭遇」映画よりもずっとずっと前の話だ。
その映画とは、オレンジ色の物体というのも、あとで色が変わるのも、いきなり移動するのもよく似ていた。動きが似ていた。
ただ、どーんと飛行機のように頭上を飛んでいくというのはなかった。それから、音がない不気味さというのがあまり言われていないかなあと思った。
このあと、実は、「それ」はいきなりわたしたちの頭上にいた。なぜいたのか、どうやって「来た」のかぜんぜんわからないのだった。
心臓がばくばくしていた。
頭上ということは、わたしたちは見上げていた。円盤(のようなもの)のハラが見えた。すごく低かったように見えた。そして大きかった。ものすごく大きかった。円盤かどうか、形はわからないくらい大きかった。
なんだか、覆われたっていう感じだったが、風も音も、重さも怖さもなにも感じなかった(固まった)。
もしかして、連れて行かれるか!と実はちらっと思った。さらにちょっと白状すると、そのとき、
だったらしょうがないな
と思ったのだった。それくらい近かった。逃げることはできないとはっきりわかっていたのだと思う。
たぶんだけど、かなり大きいイメージがあった。そのときはぜんぜんなにも考えていなかった。グレーの濃い色、黒に近いような(暗いからかも)色の底だった。
つるっとしていなくて、いろいろなものがあった(ように見えたけどわからない)。光っているものはなかったと思う。
そして、20秒くらい(かなり長く感じたけどたぶん)でパッと消えた。いま思うと、わたしらの上で静止していたのですね。
その後、E.Tでも似ているなあと思ったし、円盤系が登場する番組など(あまり見ない。知らない。せいぜいX-ファイル)を見ていると瞬間瞬間で思い出すことがあった。
「未知との遭遇」では、We are not alone. ていうサブキャッチがあったけど、わたしは、
「目撃したのはわたしたちだけじゃあない」
と理解していた。
あのすごく軽い動きというか、直線移動的なぱっぱっぱと移動していく特殊さは、ただ、円盤が漫然と飛んでいるというのからはほど遠い俊敏さだった。
友人とわたしは、「それ」が消えたあと、
いまのって、UFOみたいだよね。
そうみたいだったね。
帰ろう。
と言い合って、なぜか走って帰った。
そして、いまでもつきあいのある親友だけれど、いまだかつて、そのときのことをお互いに話したことはない。
もちろん、帰ってから親にも話さなかった(笑われるというよりも、自分がヘラヘラしそうだった)。そのくらいアンビリーバブルなことだった。現実とは思えなかった。
むしろ、早く忘れようと思った。普通に生活したかった。
大げさだけど、ちょっとやっぱりあの子たち見たみたいだし、連れて行くかなんかした方がよいんでない?と思われて、さらわれたらどうしようと、もうそうしたりしていた。
ここに初めて、「UFO(たぶん)目撃の告白」を書こうと思ったのは、いつかはどこかに記録として留めておきたいという気持ちが、つねにあったから。
もしも、日頃のわたしをよく知っている人が、実は、わたしはUFOを見たことがあると名乗り出た、ことを知ったら、
あの、まじめな人がね〜。
と言うだろう(言わないかもしれないが、でも、やっぱりね〜言いいそうだったとは言わないだろう。まじめだしおとなしいし)。
このたび、書いてみて、つくづく思ったが、
あ〜さっぱりした。
2020年10月追記:さっぱりしたと思っていたのだけれど、思いがけなく、またUFOを目撃してしまった(のではないかと思われる)ことが起きてしまったので、記事を書きました。よろしければご覧くださいませね。