ささやかなおおごと

本質は、好きですか。

ファイテンの微妙さ、あやしさ、ありがたさと介護での思わぬ功労について

いままで書こうかどうしようかとずっと(これが長い、何年も)沈思熟考(単に逡巡)していたのだけど、やはり書いておこうと決めたので書きます。これで、どうこうということはなくて、こういうものがこういう風にとらえられてもいいのではないかと、前向きな感想、ポジティブな視点、やさしい心で読んでいただけたら幸いです。

 

ファイテンという商品があってそれは、ご存知の方も多いと思うので、あまりくどくど書きたくないのだけど、簡単にいうと、ファイテンというものを身につけると(食べると、飲むと、肌につけるとそのほかバリエーションあり)身体の(心の)調子が良くなって、パフォーマンスが上がり、人間的なシステムが向上するという、そういうふうに一応認知?されている(ファイルド加工ということをものに施している)。

 

 

それがどうか、それがそうか、は、そのひとそれぞれの判断なので、興味のある人は試してみたり、そんなことあるわけないと思う人はそのままこの世にファイテンは存在しないとして人生を過ごしていけばいい(ファイテンのような他の商品は他にもある「らしい」。ほら、たとえば箱根駅伝なんかで、選手が首にネックレスをしている、あれがそれ系のグッズです。御利益あるかないか)嗜好品に近いものだと思います(好き嫌いもきっぱり分かれるかもしれないという意味でも)。

 

ご想像通り、わたしは、ファイテンの愛用者でした。「でした」というのは愛用していたということで、いまはしてないという意味ではなくて、「愛」が抜けても利用はしています。

だいぶ時間が経った夫婦のような、いないとなんかさみしいというか心細いけれど、超好きというわけでもなくて、まあ、ルーチーンとしてつけたりしますね程度のポジショニングです。

 

 で、このファイテンの肝の部分に入りますが、この商品はネックレス(首輪。首にかけるんです)が根幹商品です。それは、「首につける」ことが大事な要素だからです。首にぶら下げる。そうするとパフォーマンスが上がる。

 

ファイテンのお店に行って、店員さんに、

あのう、初めてなんですけど

というと、100%の確率でペットボトルのところへ連れて行かれ、水が入ったペットボトル(2リットル)が二本グルグル巻きにくっつけられたその間に指を入れさせられ、持ち上げろと半ば(ほぼ)強制される。

いやという人も100%の確率でいなくて、持ち上げて

 

重いです(と言わなければいけない)

 

と言った後、こんどはその手にファイテングッズを乗せ、また持ち上げさせられるので

 

軽い〜

 

と言ったら、このパフォーマンスは完了。

そうして、ファイテンの効果効能は証明され、店員は満足げに微笑む。

 

ここに肝がある。

このパフォーマンスが本当かどうかはどうでもよくて(わたしには)、そんなことでだまされないと思っても、やっぱり効果あるんだ〜と思っても(だれかが)どうでもいい。

肝は、そのくらいに、わからないくらいに微妙だということ。

 

にやっと笑ってとまどうくらい。

 

ところが、この微妙さが実はすごく大変なことなのだ。

 

わたしがファイテン商品がただものではないことを実感したのは、10年以上前に膝の大けがをして、二度の大きな手術をし、それでもだめで三度目の手術が決定していたときだった。

そのとき、一日5時間のリハビリをしていて、毎日泣いていた。

なにかきっかけがあって、見つけたファイテンという怪しいグッズに、そういうときにすがるのは、もうしょうがないし、わしづかみに買いました。

 

一番安いやつね。プラスチックの。

 

そして、いつものリハビリをし始めて、しばらくして苦しい坂のところにさしかかったとき、

 

楽だ

 

と感じたわけで。

 

これはお店であのパフォーマンスをしたときに感じる、

う〜ん、軽いかも〜〜

という微妙な感覚。

 

しかし、この非常事態の苦しみの最中には極楽に感じるわけです。

 

そのときには確実に感じた軽楽さであったのだけど、疑い深いので調査研究。

やっぱり真偽のほどはネット上にもいろいろありました。

もちろん、この本も読みました。

 

ファイテンの謎

ファイテンの謎

  • 作者:魔法の首輪研究会
  • 出版社:角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2009-08-26

 

真偽のほどはともかくのまま、わたしはあっという間に身体中ファイテンの人になった(ファイテンのせいかどうかは不明で、三度目の手術はせずに奇跡的に回復した。ほんとうに日頃の行いはものを言う(違うと思うけど))。

 

ファイテンが身体のどっかにないと困る状態。ネックレスもいいやつが欲しくなる。

 

この効果のほどの微妙さが、そのまま、いろいろなグッズを使うようになる原因かもしれないとも思ったけれど、本人が調子がいいって言ってるんだから使ってればいいじゃんということです、ここまでは。だから嗜好品という範疇です。

 

スポーツマンがよくこれ系の首輪やらなんやらをしているのを見ます。

ああいうハードな極限状況で能力・パフォーマンスを発揮させなければならない場合ほど、気がつくのがこの微妙さだと思います。そうではなくて、ふつうの生活、ふつうの健康な人にはまったくわからない僅差。

 

これに気づくのは、かなり具合が悪いか、繊細か、極限でパフォーマンスしなければならないかだと、そう感じました(わからない場合はわからない)。

 

ベッドルーム・介護

 

 

しばらくして、母の介護が始まった。母は弱っていたけれど、寝込むほどではなくて、自力での日常生活をしたいとがんばっていた。

 

母に、

こういうのがあるのよ〜、つけてみない〜?いいかもよ〜

 

母は、あっという間にファイテンを好きになった。

 

身体ががくんと弱り始めて、腰痛もひどくなり、いろいろなことに敏感になっていた母に、ファイテンの微妙さが威力を発揮したのかどうか。

 

ネックレス以外にも、足の冷えには靴下、枕、枕カバー、膝掛け、レッグウォーマーなどなど、様々なグッズでファイテンの人となった。

 

で、それで母の身体の調子が上向いて、要介護の認定が下がったかというと、そういうことが言いたいのではない。

 

ファイテングッズのおかげで、母はとても生き生きした表情になり、生活に前向きになったのでした。

 

母は、ファイテンが本当に効くのだと、そう信じていた。

 

まあ、本当かどうかはともかくとして、腰の痛いのが楽になったとか、冷えが楽になたとか(なくなったと言わなかったところが、このファイテンの微妙さを物語っているような気もする)。

 

意外と母に好評だったのが、ローションやクリームのような身体をさすったりして塗るものと、タオルや枕や毛布のような、やさしく柔らかく接触する関係のものだった。それだけなにかに触れている・触れられているやさしさ、癒しを求めていたのかもしれない。

 

 

お守り

 

そういう風にも考えてみたが、お守りって袋だったり持ち歩くものだったりする。

が、ファイテンは実用グッズになっているところがミソなのかもしれない。ファイテン効果がなくてもタオルはタオル、ローションはローション、毛布は毛布。

 

けれども、この、霊験あらたかさ、がより科学的である「ように感じられる場合」(母にとってのファイテンという魔法のような言葉)不思議なパワーとなって、思わぬ(ファイテンの会社のひとにとっては「思って」)効果が現れるような気がした。

 

客観的に見て、ほんとに効くかなあそこまで、と自分があんなにはまっておきながら言うのもなんなのだけど、それでも、母に買ってあげた数々のファイテングッズは、確実に母を元気にしていった。

 

年老いて、身体が思うようにならないのは、若い頃の、病気をして、回復するまでじっと耐えるのとはわけが違う。

 

希望、この状態、老いた元気のない、生気のない、具合の悪い状態が良くなることはない。しかも、日々、悪くなっていく可能性が高い。

 

がんばれと言われても、やる気も出ないのはもっともだ。なのにうつがあるようですね、と抗うつ剤が出ていたりする。

 

そういうときに、ファイテンが思わぬ効果を発揮した。

 

お守りでも、気のせいでも、イワシの頭でもいいではないか。

 

ついでと言ってはなんだけど、ファイテングッズで母が喜んでくれると、わたしも元気になった。

 

それでいいではないか。

 

本当は、真実ってあるでしょ、という部分が真実で、そこが抜け落ちているかもしれない。

 

でも、もしもそれがだますことでなければ(ぜったいに治るグッズなんだよとか言わない。これをつけていると幸せになる、楽になるとか言わない)、たとえ「ただの首飾り」であってもそれでもいいのではないかと。

 

この「ファイテン問題」(わたしが勝手に呼んだ)は、これをちょびっと発展させると霊感商法や、お数珠?、パワーなんとか、ヒーリングなんとかのような「わからないもの・証明されにくいもの」へと思考が発展していく。

 

けれども、わたしはそういうこと「まで」考慮して検討しているのではなくて(思慮浅く沈思熟考した)、緊急避難的に、命の火を見守るようなときに、そういうグッズのなかに心のケアのようなものをプラスアルファしてもいいんじゃないかと思っただけ。

 

 大げさに言ってしまえば、そういう「なにか」が(ファイテンに限らない)オー・ヘンリーの最後のひと葉のようなものになり得るかな〜と(大げさ)。

 

ただ、もっと言うと、もしかしたら、母はこのファイテンのあやうさもありがたさもついでに微妙さもすべてわかっていたのかもしれない、とも思ったりした。

 

最後のひと葉 (岩波少年文庫 (539))

最後のひと葉 (岩波少年文庫 (539))

  • 作者:オー・ヘンリー
  • 出版社:岩波書店
  • 発売日: 2001-06-16

 

最後に。

ファイテンというメーカーは、知れば知るほど奥深いというか、不思議な(理解しにくい部分がある)メーカーで、実は、売っていない(非売品)がすごく楽しくておもしろくて売って欲しいと思うものが多い。

 

それは、福袋に入っているものだったり(福袋そのものもファイルド加工されているので「効果」があるって、どうやって効果を受け取るのか不明)いろいろだけど、なんとか祭りで景品でもらえたりする怪しいグッズこそがファイテンの真骨頂だとわたしは思う(すさまじく高機能ひとりあんま器とか作りが凝っている腰用クッション・リバーシブルとかテトラ型高機能(それぞれの突起部分により効能が違う)ツボ押し器とか)。

ファイテン あんま器

すさまじく高機能ひとりあんま器

 

ファイテン・腰用クッション

作りが凝っている腰用クッション・リバーシブル

ファイテン テトラ型高機能(それぞれの突起部分により効能が違う)ツボ押し器

テトラ型高機能(それぞれの突起部分により効能が違う)ツボ押し器

 

昔、ファイテンのなんとか祭りで、大好きなボールペン・ジェットストリームのファイテン仕様をもらったことがあった。

 

感激

二本も

タダで

 

大事に大事に使っていたが、10年もすると欠けたり割れたりして、部品を補充していって、もはやファイテンがどの部分だったかわからないくらいのボールペンになり、ついに先日最後の一本(二本のうちの一本)が木っ端みじんになった。

 

悲しい。

 

こういうことを悲劇という。